Els33els@els33els

ライフパスナンバー33の♂
ぶらぶらと散策することを楽しんでいます。
いろいろと新しい発見に出会えますよ。
占術、神社、仏閣、スピリチュアルにハマってます。
いいね✫コメント✫フォロー✫ありがとうございます。🙇宜しくどうぞ〜!😄

千寿七福神の大黒様がいらっしゃる本氷川神社に詣でました。
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しっかりと米俵の上に乗ってらっしゃいました。
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頭巾をかぶって打出の小槌を持って袋を肩に担いでました。
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自身はよくゴミ袋を担いでいました。
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打出の小槌は持てなかった……ざんねん!
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【大黒天】〈梵〉Mahākālaの訳
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インドで破壊を意味する暗黒の神。
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密教では、大自在天の眷族として三宝を守護し飲食をつかさどる神となり、忿怒相を示す。
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寺の厨房などに祭られた。
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七福神の一。
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米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。
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中世以降、大国主命と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。
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#七福神^#本氷川神社^#米俵^#頭巾^#打出の小槌^
#ゴミ袋^#インド^#暗黒^#三宝^#大国主命^#恵比須^
#福徳


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大黒天様を参拝しに狭い路地裏を進みましたよ。
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途中に懐かしい青いベンチがあったので、腰掛けさせて頂きました。
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ベンチに腰掛けていると『ノスタルジック』を感じてしまうのです。
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何処もかしこも短時間で開発ばかりされてしまうので、かなり寂しい気がします。
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思い出を破壊されているようで……
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#大黒天様^#路地裏^#青いベンチ^#ノスタルジック^
#開発^#破壊


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元長福寺安養院
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この寺院は千住5丁目の旧道から入ったところにあります。
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勝専寺や本氷川神社と同じく旧日光街道から山門まで真っ直ぐ参道が伸びています。
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新義真言宗(真言宗豊山派)に属し本木の吉祥院の末寺です。
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鎌倉時代の建長年間(1250頃)に執権北条時頼の建立になり戦国時代には小田原北条氏の北条氏政の祈願所だったとも伝えます。
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山号は西林山、寺号は長福寺といいました。
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その頃は今の元町の南部にあったようで、その地を耕している時、土の中から金銅製の阿弥陀仏が姿を現し、それを本尊として祀ったと伝えます。
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その地は昭和の始めまで金佛耕地の名で知られました。
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現在の千住柳町、千住龍田町の全部と千住元町の南部がその区域です。
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千住宿が現在地に設けられるようになると千住元町の集落は千住四丁目・五丁目への移転を命じられ慶長3年(1598)に現在地に移転しました。
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旧日光街道を北に進み横山家屋敷や郵便局の前を過ぎ旧水戸街道の分岐点の信号を渡り暫く行くとすぐ左側に入るのが参道です。
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その正面に近年建立された山門があります。
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山門を入ると正面に大正13年建立の本堂があります。
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この本堂は屋根の頂に宝珠を乗せる宝形造りで近隣の寺院と異なる印象を与えています。
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山門右手にはやはり近年建立された観音堂があり、その左にある保存樹の黒松ときれいな景観を見せています。
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本堂左側には庫裏が続きその前には、この付近には珍しい「もくげんじ」の大木があります。
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更に左へ進み角を曲ると元禄12年(1699)建立の「かんかん地蔵」があります。
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地蔵を小石で打って祈願すれば霊験あらたかであると、伝えられ歴代の参拝者が小石で打っていったため、その正面は摩滅して真っ白な印象を与えています。
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そのとなりには別の二体の地蔵尊が建立されています。
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ここで後ろを向けば板垣通りに通じる南門が正面に来ます。
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現在は板垣通り面のこの門が良く利用されているようで足立区の文化財案内板もこちらの側にあります。
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本堂の後ろに見える大きな建物は、中央図書館や放送大学が入っている「学びピア」です。
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荒川土手もすぐ近くのこの付近も高層化の波が迫っています。
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【足立区教育委員会掲示による安養院の縁起】
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当寺は、もと千住元町にあり、鎌倉時代北条時頼が創建したと伝えられ、西林山長福寺と称した。
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慶長3年(1598)兵火の災にあい、現在地に移り真言宗西林山長福寺安養院と改めた。
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本尊は、金銅仏の阿弥陀如来で、鎌倉末期のものと思われる。背面に宝永4年(1707)9月26日の修覆造像記銘がある。
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その他、秘仏である地蔵菩薩立像・香木造の弘法大師像・密教用法具・真言密教の教典・古文書等が保存されている。
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中興開基第1世は賢智上人で、北条氏の臣高梨氏の出身である。以来歴代の住職と檀家の努力で幸運栄え、江戸末期から明治初期にかけては真言密教の檀林となり、多くの仏弟子を世に送った。
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現在の本堂は、大正12年第22世良道僧正によって再建されたものである。
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(足立区教育委員会掲示より)
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#長福寺^#安養院^#北条時頼^#北条氏政^#阿弥陀仏^
#モクゲンジ^#かんかん地蔵 ^#地蔵尊^#学びピア^#秘仏


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民家に注連縄が施されていました。お正月でもない普段の平日です。初めて見ました。
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近くに古民家を改装した立ち飲み屋さん。八古屋(858)がありました。
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このお店はワイルドな黒猫のグラフィティが目印で地元の若い人たちに人気だそうです。
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858という数字の他の意味は?
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858は、8と5の2つの数字を組み合わせることから、それぞれの数字の意味を含みます。
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数秘術で8は物質的な成功、無限、運命をあらわす数字。
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そして、同じく5は変化や行動力、柔軟性を意味しています。
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さらに、数秘術では二桁以上の数字について、それぞれの数字を足していき、最終的に一桁の数字へと還元していきます。
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858を還元すると、
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8+5+8=21

2+1=3
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となることから、858は3の数字が持つ、『開花』や『創造性』という意味もあわせ持つということです。
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ところでパワスポ好きな皆さんなら神社などで注連縄を見かける機会が多いと思います。
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あの注連縄は具体的にはどのような意味があるのかご存知ですか?
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神社の鳥居や本殿、ご神木や変わった形の岩など、注連縄を張られたものって確かにあちこちにありますね。
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お正月には玄関などに飾るお宅も多いでしょうし、大きな鏡餅に注連縄が張られているのを目にすることもあるかと思います。
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注連縄は「結界の境目」を表すものです。
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ここから先は、もしくは注連縄を張られたこのモノは外界とは違う「一線を画した何か」である、という意味なのです。
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【聖なるものだけではない注連縄の結界】
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そう聞くと、大抵の人が抱いている注連縄のイメージ通りではないでしょうか。
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注連縄の意味はそれで合っています。
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ただし、「一線を画した何か」というのは聖なるモノだけに限られた話ではありません。
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恐ろしいモノや場所、タタリがあるとされるモノにも注連縄は張られているのです。
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【注連縄を見たら気安く近づいてはいけない】
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基本的に注連縄は立入禁止のロープと同じ意味合いです。
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もちろん鳥居の注連縄などの例外もありますが、なんの用意も心づもりもない人が、気安く近づいてはいけない場所やモノを表しているのです。
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聖なるモノの注連縄とそうではない場合の注連縄を、パッと見て素人が見分けることはできません。
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その場所が観光地で、ガイドブックやパンフレットなどに記載があればいいのですが、そういった「悪い事」ははっきりと書かれないことも多いでしょう。
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現地の人でも知らないいわくつきの何か、というモノも存在します。
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注連縄には絶対に触らない。
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よく知らない場所の注連縄には安易に近づかない。
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よくわからない何かから身を守るには、これが一番です。
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#パワースポット^#注連縄^#古民家^#858^#結界^#結界師^#立入禁止^#祟り^#祟り神


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千住ほんちょう公園の特徴は、面白いオブジェや遊具がある公園。
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歴史や自然と触れ合える公園で江戸時代に賑わった日光道中・宿場町の雰囲気を伝えようと作られたらしい。
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緑の少ない千住にあって貴重な憩いの場になっています。
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千住宿史跡・旧跡案内図があります。
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旧日光街道は日本橋を出たあと千住、越谷、春日部と続き宇都宮で奥州街道と分岐します。
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宇都宮までは日光、奥州両街道は同じ道をたどるため道筋には将軍家の足跡と共に奥州征伐の頼朝の足跡などもあります。
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北千住・旧日光街道、今は宿場町通りとして繁栄している。
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千住宿は日光街道および奥州街道の日本橋から1番目の宿場町。
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イトーヨーカドーの事実上の1号店は千住店でこの近く。
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わずか2坪の小さな店舗「羊華堂」からのスタートだった、漢字では「伊藤洋華堂」と書く。
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北千住は、町そのものが博物館のようです。
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宿場町通りには、『ほんちょう公園』があり、この公園は、まさに北千住という町を象徴しているように思える。
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いろいろな要素が混然一体になっている。
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一見まとまりのないように思えるのだけれど、妙に落ち着く公園。
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北千住にはおいしい団子屋さんやらパン屋さんなどが多くあり、何度かそれらを買って石の椅子に座っていただいたことがある。
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宿場町通りに面した入り口には、マップがあり、これを見れば、どこをどう散歩すればいいかがよくわかる。
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その先に石に隠れる小さな男の子のオブジェがある。男の子は全裸だ。
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このオブジェは、何かを語りたいような雰囲気を醸し出していて、しばらくこのオブジェの前で語り合った。
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脇には千住宿の説明板があり、宿場町の木戸のようなものがあって、歴史気分を盛り上げてくれる。
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遊具も豊富。メインはタコの滑り台。休日などは小さな子供から小学生くらいまでいろいろな年齢の子供たちが遊んでいる。
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さらにユニークな遊具がいくつかあり、公園の逆側まで行けば、蔵をイメージしたような外観のお手洗いがある。
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そういえばいっとき、北千住は蔵の町というので、蔵を巡る散歩がずいぶん流行った。
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ほんちょう公園からさらに宿場町通りを北へ行けば、名倉医院という今も現役の病院がある。
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ここにも立派な蔵がある。また、蔵を改装して喫茶店にしているお店もあったりする。
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#千住ほんちょう公園^#イトーヨーカドー^#奥州征伐^
#頼朝^#宿場町通り^#タコ公園^#蔵の町


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宿場町通りを歩き「開運勝つカレー」を発見したので、中に入っていただくことにしました。
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もし勝てなかったら、ただのカレー。
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いつもは、ココカレーなのですが、金沢カレーを発見すると金沢に入ります。
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あのドロッとしたカレーは、ヤミツキになりますね。
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そこで、金沢カレーについて。
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【金沢カレーとは】
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主に石川県金沢市近郊を中心とした位置の店で提供されている、独自の特徴を持ったカレーの総称であり2000年代中盤に流行したゴーゴーカレーによって有名となったB級グルメ。
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【主な特徴】
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金沢カレー協会で紹介されている、「金沢カレー」の特徴は以下の通り。
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ただし、これが厳密な金沢カレーの「定義」として決まっているわけではない。
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⦿ルーは濃厚でドロッとしている。
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⦿付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。
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⦿ステンレスの皿に盛られている。
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⦿フォークまたは先割れスプーンで食べる。
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⦿ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。
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金沢カレーは、宇都宮餃子のような協同組合もなく、商標やブランドを管理しているような団体はない。
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そもそも「こういった特徴を持つ店が金沢に何件かあった」ものが後年、金沢カレーと呼ばれるようになっただけなので、この特徴を満たさなければ金沢カレーと呼べないわけでもない。
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基本はトンカツだとされるが、どの店もプレーンなカレーライスを提供しているし、ウインナーやエビフライ、クリームコロッケなどを選択できる店も多い。
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福神漬けやラッキョウを添えたり、キャベツ用にマヨネーズを別途提供している店もある。
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素材(米、肉など)は金沢の名産品である必要もなく、多くの店が県外産を使用している。
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【食べ方】
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2010年頃にTV番組「秘密のケンミンSHOW」にてルーとライス、キャベツを混ぜて食べるスタイルと紹介されたらしいが、そのようなスタイルがどこかで定義されたという話は一切ない。
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一般論として、カレーを混ぜてから食べるという行為自体に行儀が悪いと感じる人も少なくないのは、金沢カレーだろうと変わらない。
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自宅ならともかく外食でカレーを混ぜ混ぜするのはお勧めできないだろう。
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なおルールではないが、ルーの粘度が高いためライスの上にルーが多く乗る状態になりやすいことから、一般的なカレー以上にライスとルーの配分を考えて食べないとバランスが崩れやすい。
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金沢カレーを「味が濃すぎる」「ルーが少ない」と言う人は、ルーの取りすぎが原因であることが多いので、一度配分を確かめながら食して頂ければ味が変わるかもしれない。
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【名称】
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カレー自体の歴史はそこそこあるものの、「金沢カレー」という名称が定着したのは比較的近年。
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初出については諸説あるが、2000年代のB級グルメブームに伴う「地域名+料理名」というありふれた名称であり、オリジナリティを主張できるようなものではない。
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協同組合のようなものもなく、商標も取得されていないため名乗ろうと思えば誰でも金沢カレーを名乗ってカレーを提供することは可能。
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この名称を全国に周知させたのは、間違いなくゴーゴーカレーだと断言できる。
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ある意味で金沢カレーという名称の親はゴーゴーなのかもしれない。
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とうとうカレーに食べ方のルールや、特徴、論理が出てきた。
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何時でもフリースタイルのボクは、食べ方などにルールなんて作ったら、肩肘張って疲れます。
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あくまでも食する動機は、開運勝つ!が目的なので、食べ方ルールはウザいですね。
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#金沢カレー^#ゴーゴーカレー^#b級グルメ^#a級グルメ^#c級グルメ^#d級グルメ^#e級グルメ^#ココカレー^#coco壱番屋


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湯島神社 筆塚、奇縁氷人石
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#筆塚^#奇縁氷人石


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男坂・女坂下周辺には古い湯島の風情が一番濃厚に残っているなんて言われたりもしていたらしい。
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明治時代のこの辺りから三組坂の間は坂下のパッとしない土地ってことで、安宿やら安下宿が多かったようで、上京したての宇野千代や五島慶太なんかも住んでいたりしていたらしい。
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女坂入り口の角にちょっとそこだけ時代感が違うような(野坂昭如の本には「ものものしい構え」と書かれている)木造の建物がある。
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その建物は美術商「羽黒洞」のギャラリー。
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そこの横を抜けて女坂へ向かう。
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池波正太郎を筆頭に諸々の作家が、花街衰退後、湯島と言えばラブホテル街ってことで、いろんなことを書いている。
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映画『マルサの女』の山崎努演ずる権藤が隠れ経営してるラブホテル群の中に湯島のもあったはず。
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羽黒洞裏には魚の味噌付け店、よろずやがあるのでそういうのが好きな人は寄ってみると大吉。
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道の突き当りには原田悠里「おんな坂」歌唱記念(北島三郎書)の碑が建っており、休日には必ず占いが出ていて、女性客で繁盛していたり、していなかったりする。
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湯島天神・女坂は横の梅林と石垣に挟まれ、江戸時代と変わらないような雰囲気が個人的にも好きな坂。
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休日にはカメラ親父が大量に湧いてくる。
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自分もそうだけどスマホね。
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登り口横の石垣は湯島天神の立地の高さがひと目で分かる唯一の場所だし、途中には寄進者名が刻まれていたりするので、その辺もチェックポイント。
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芸事関係者は当たる当たらないってのがあるから昔から神社への寄進、というか神頼みは普通のことなんだよね。
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ここを登りたいところを抑えて横の小路に入る。
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この小路の途中に『短期間』ではあるが久保田万太郎が住んでいたらしい。
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久保田万太郎の最初の妻、京子は花柳界(浅草)出身。
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昭和10年に万太郎の浮気性で傲岸な性格が原因で、自死に近いカタチで『事故死(睡眠薬量の間違い)』している。
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流石に反省したのか、再婚するのは息子の結婚後の昭和21年。
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しかし、その再婚の相手である同じく花柳界(湯島天神出身かは未確認)出身の君子は二十以上歳下で最初は喜んでいたものの、いざ暮らし始めると万太郎顔負けのアレな性格で、こりゃタマランと万太郎はこのせっかくの湯島の家を出奔してしまう。
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『短期間』てのはそういうわけ。
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晩年の万太郎が文壇、演劇界の妖怪となり嫌煙されるような存在になっちゃったのはこういう私生活事情もあるようなんである。
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その後、万太郎は六十を越えてようやく甲斐甲斐しく尽くしてくれる同年代の同じく花柳界(吉原)出身の一子と巡り合い、赤坂に居を構えやや落ち着くわけだが、当然のように君子は離婚を承知せず、周囲の人間が湯島を『北朝』、赤坂を『南朝』と呼ぶようなゴタゴタが続くことになる。
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そんな中で最愛の一子が急死してしまい、その悲しみの中で読んだのが有名な句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」なのだ。
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全員相手が花柳界出身。
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万太郎は一子の死の半年後、梅原龍三郎邸での宴席で寿司を喉につまらせて急死する。
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君子はその後もここで「久保田」の表札を出し、この地でお茶の師匠とかしながら十数年前まで健在だったらしい。
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万太郎死後もゴタゴタは続いたらしく、出版社を含む万太郎関係者からの評判は最悪だったそうだけど、まぁどっちもどっち。
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万太郎が息子と一子が死んだ最晩年に著作物一切を母校(慶應)に寄付したのはそういうこと。
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少し、わびしい気持ちになりつつそのまま小路を抜けて男坂へ。
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女坂を見たすぐ後だとなんだか凄く切り立っているように見える。
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女坂は江戸中期頃に後から作ったものだそうで、倍の長さにして楽に登れるようになっているとのこと。
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この丁寧な仕事っぷりは両坂が単なる神社の参道だけではなく、主な移動手段が徒歩だった江戸時代には本郷方面へ抜ける幹線だったからのようだ。
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#女坂^#男坂^#花柳界^#宇野千代^#五島慶太^#野坂昭如^#池波正太郎^#花街^#マルサの女^#よろずや^#原田悠里^#北島三郎^#久保田万太郎^#梅原龍三郎


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湯島神社の境内にいたら、突然人力車が現れました。浅草雷門あたりでよく見かける人力車。
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どうやら結婚式が始まるようです。
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未婚のボクにとっては、サプライズです。
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純和風のBGMがながれ、まるで自身が式に望むような錯覚に陥りました。(笑)
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このBGMのタイトルが、どうしても思い出せないのですが、この曲を聴くと何だか魂が揺さぶられます。
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それ程、心に沁みる曲です。不思議なものです。
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暫しの間、新郎新婦に見入ってました。
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何処の何方様かは、存じませんが自然に「幸あれ!」と思う感覚も不思議でした。
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人力車に乗るには、結構費用がかかるため、ボクは、一生乗れないな。眺めるだけでマンゾクです。
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【観光用としての人力車】
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現在は主に観光地での遊覧目的に営業が行われている。
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人力車を観光に最初に用いたのは1970年の飛騨高山のごくらく舎であり、後に京都や鎌倉などでテレビ番組等で度々紹介されて各地に普及した。
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当初、京都といった風雅な街並みが残る観光地、又は浅草などの人力車の似合う下町での営業が始まり、次第に伊豆伊東、道後温泉といった温泉町や大正レトロの街並みが残る門司港、有名観光地である中華街などに広がっていった。
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観光名所をコースで遊覧し、車夫が観光ガイドとして解説してくれるものが一般的である。
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現行の道路交通法では人力車は軽車両の扱いとなるが、自転車とはならないため、自転車以外の軽車両を禁止している自転車道や、自転車通行可とされた歩道であっても人力車で通行する事は出来ない。
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観光人力車の乗車料金は10分程度の移動時間中に観光案内を含めた初乗り運賃が1人当たり1000 - 2000円から15分・30分・60分・貸切などさまざまである。
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2人乗りのものに3人乗車することも可能であるが、相当な重さになることから、観光人力車では料金を割り増しとするものが多い。
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観光人力車では到着した後の観光客への観光案内時間中の駐輪場所の整備、客待ち時における待機場所の整備が遅れている。
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観光人力車の他、結婚式や祭などでの演出としての使用や、歌舞伎役者のお練りなどに使用されることがある。
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#新郎新婦^#人力車^#時代屋^#マンゾク^#飛騨高山^
#京都人力車^#鎌倉人力車^#浅草人力車^#伊豆伊東^
#道後温泉^#門司港^#中華街


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久しぶりにスーツを購入した。
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値段は高くもなく安くもなかった。
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1週間着用したらボタンが取れた。
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ボタンを付けてもらうのに6店舗目で、やっと付けてくれる店が見つかった。
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ボタンを付けることは、非常に難しいことだと感じた。
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ある店舗では、「うちで買ったのですか?」と問うてきた。
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ボタンを付けるのに、何処で買ってもいいのではないか?と感じた。
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とても不親切だ。
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これが、今の日本のスタイル!
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不便だし、ボタンを付けてもらう店舗を探すのにかなりの苦労を要します。
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最後に見つかった、ボタンを付けてくれた店が、親切だったので救われた。
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とても有難く感じた。感謝!
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ものの5分で付いた。
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付けてくれる店を探すのに所要時間が2時間以上。
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もぅ2度と閉店する店では購入しない!と決めた。😤
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#サカゼン^#閉店セール^#スーツ^#ボタン^#不親切^
#池袋パルコ^#親切丁寧


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東池袋中央公園、サンシャイン60に隣接するこの土地に、昔、何があったのかを知る人は年々少なくなっている。
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なぜ池袋の1等地に、巨大な建築物と付随するような公園ができたのか、それは明治まで遡る。
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明治30年、この場所に『巣鴨監獄』が建てられた。
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多数の犯罪者が刑を受けた場所。
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それから15年ほどして刑務所としての機能を府中に移し『巣鴨拘置所』と呼ばれるようになった。
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そして時が経ち、終戦後。
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GHQは巣鴨拘置所を取り上げて名前を『巣鴨プリズン』と改める。
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プリズンに入れられたのは、戦犯と呼ばれる人々だった。
*
昭和21年から極東軍事裁判が開かれ、A級、B級、C級戦犯の約四千人が収容されていた巣鴨プリズンでは死刑判決を受けたおよそ60名の刑が執行された。
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A級戦犯7名も絞首刑となった。
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執行日は現在の天皇陛下の誕生日である12月23日を選んだとされる。
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裁判が終了して連合軍から返還された後、巣鴨プリズンは『東京拘置所』と名称を変えた後、小菅に拘置所が移されたことで完全に解体され、昭和53年にサンシャインシティとして生まれ変わった。
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昭和55年に東池袋中央公園が完成し、平和の碑が建てられて現在に至る。
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巣鴨プリズン内でも絞首台が建てられた場所がこの公園だといわれ、60人の命が露と消えた場所ということになる。
*
そのためか、心霊現象も多く報告されているようです。
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・石碑を撮影すると心霊写真が撮れる。
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・作業員が謎の体調不良になる。
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・兵隊姿をした幽霊の目撃談。
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・人魂の目撃談や謎の足音に息遣いが聞こえる。
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・慰霊碑近くであやしい影を見た。
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・近くの電波が届かないはずの地下通路で差出人不明のメールを受信する。
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など、その数は多い。
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華やかな街であるはずの池袋にあるこの公園こそ、心霊スポットでもあり、歴史の裏に隠された特異的な場所といえますね。
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石のプレートにはしっかりと「東池袋中央公園」と刻まれているのを確認しました。
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公園の入り口近くの角に石碑がありました。
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これが平和の碑といわれる石碑。
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なにやら清掃会社の車が入り、植栽の手入れをしていたようです。
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ハンガーは何で山積みになっているのかが疑問に感じました。
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大きな石に簡潔で重い言葉が彫られています。
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『永久平和を願って』
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石碑に刻まれたこの思いが通じる日は来るのだろうか。
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ボクは、石碑を撮影した後に、軽く目を閉じて、静かに手を合わせました。
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石碑裏には、極東国際軍事裁判で裁かれた人がこの場所で処刑されたことと石碑が建てられた日が記されているらしいのですが、何やら作業中でしたので、それ以上踏込むのを遠慮しました。
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投稿が丁度200回になりましたのでプロフィールを多少変更いたしました。
*
ライフパスナンバーが「33」のボクですが、宜しくお願い致します。
*
数秘術を学んでおります。
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#東池袋中央公園^#巣鴨プリズン^#極東国際軍事裁判^
#慰霊碑^#数秘術


6

今朝は、久しぶりにと言っても40年振りにサンシャイン60の周りを歩いてみました。
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あれは確か中学3年生だった頃にサンシャイン60ができて、出来立てのホヤホヤの頃に友達と一緒に度々遊びに行ったことを回想しながら歩いたら当時の事が蘇り懐かしさが込み上げてきました。
*
テンションがあがりますね。
*
☆☆☆☆☆☆☆
*
サンシャインシティは、東京都豊島区東池袋三丁目に所在する、株式会社サンシャインシティが運営する複合商業施設。
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東京拘置所(巣鴨プリズン)跡地を再開発して建設された。
*
施設情報所在地〒170-0013
*
東京都豊島区東池袋3-1-3
*
状態完成着工1973年(昭和48年)7月竣工
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1978年(昭和53年)4月6日: サンシャイン60・専門店街アルパ(部分竣工)
*
《概 要》
*
サンシャインシティは池袋のランドマーク的役割を果たしている。
*
1958年、首都圏整備計画に沿って閣議において東京拘置所の移転が決定されるが、東京都の財政難や移転先の用地難などから計画の進捗は滞っていた。
*
その後1964年10月に開催される東京オリンピックを控え、池袋の再開発計画も俎上に載り、副都心計画(TKプラン)は、民間事業とした上で児童センターを核として事業を進展させることとなった。
*
また事業の推進にあたっては西武百貨店が実務の中心を担うことも決定し、計画の具体化が進められた。
*
1964年1月には、副都心建設を目的とするデベロッパー会社を設立する発起人会が経済界有志によって結成され、さらに1966年度予算において、5ヵ年計画で国庫債務負担を認められたことを受け、同年10月、開発母体となる新都市開発センター(現:サンシャインシティ)が設立された。
*
同社の設立にあたっては、堤清二が財界首脳や丸の内の大手企業を訪問し出資を要請したほか、拘置所の移転運動においても堤が軸となり活動を推進した。
*
また、三菱地所と共に西武流通グループが最大の出資者として名を連ねた。
*
1973年7月、サンシャインシティは建設を着工するが直後にオイルショックに遭遇し工費が倍増するなど紆余曲折を経ながらも、1978年4月6日にサンシャイン60が竣工し、展望台のオープンとオフィス・テナントの入居を開始し、約半年後の10月5日にプリンスホテルを除く全館が竣工しグランドオープン(街開き)を迎えた。
*
開業当初は池袋駅から離れて立地していることからテナント誘致に苦戦し、サンシャイン60が入居率100%を超えるまでは4年ほど歳月を要した。
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サンシャインシティは超高層ビルとしては展望台の高さ都内一のサンシャイン60を中心に、複数のビルや地下街・専門店街で構成される。
*
オフィスや専門店街を中心とする商業施設、ホテル(プリンスホテル)にとどまらず、水族館、ナンジャタウンやJ-WORLD TOKYOといった屋内型テーマパーク、 プラネタリウム、劇場などのレジャー施設、コンベンションホール、さらにサンシャインシティ噴水広場をイベント会場にして、多くのタレントを招致しているほか、マンションまで擁する日本初の複合都市施設である。
*
2007年までの15年間、毎年約3千万人が来場している。
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2008年2月から同年3月にかけ、それまでサンシャインシティの筆頭株主で持分法適用会社としていた三菱地所が、協業体制の強化を図るべく、サンシャインシティの株式公開買付け(TOB)を実施。
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株の59.59%を取得した。
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これによって同年3月25日に三菱地所の連結子会社とされた。
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また主要株主の一社であった西武鉄道は、TOBに応募したため株主を外れている。
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サンシャインシティはサンシャイン60・プリンスホテル・ワールドインポートマート・文化会館・専門店街アルパの5つのエリアに分かれており、エリアごとにシンボルカラーが制定されている。
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エリアごとのシンボルカラーは、館内の案内表示板や地下駐車場内の駐車位置の目印になる柱番号表示などに使用されている。
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キャッチコピーは、「なんか面白いこと、ある。」サンシャイン60開業35周年の2013年上半期には「おかげ様で35周年。」が加わった。
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かつてはセゾングループ構成企業が18層を賃借しサンシャイン60に本社を置いていた。
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現在もクレディセゾン、ファミリーマートなど一部の旧グループ企業は引き続きサンシャイン60に本社を置く。
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また、西武ライオンズ(現チーム名:埼玉西武ライオンズ)は、サンシャインシティに球団事務所を構えていたが、1986年に所沢市の西武球場(現:西武ドーム)内に移転している。
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